仙台を拠点とする『特定非営利活動法人 日本・ネパール文化交流倶楽部』Japan-Nepal Cultural Exchange Club

理事長・副理事長ご挨拶 (平成25年7月 NPO法人設立記念式典挨拶より)

【理事長】サンジブ・アリアル

私はネパールの自給自足の村で生まれ16歳になるまで裸足で生活をしていましたが、20代に来日し、今日に至るまで本当に様々なことを経験し、多くの方に助けられながらやってきました。

5歳の時に村で初の小学校が開校し、中学校、高校はその当時なく、小学校卒業後1年待って中学校が出来ました。他の子供と違って、4,5歳のころから神主だった父親に文字は教わりました。
中学を卒業すると、同級生は町の高校へ行かせてもらえたんですが、私の家は経済的理由により行かせてもらえませんでした。
それでも学校へ行きたくて16歳で家出し、初めての町で自ら住み込みで働きながら通学できる環境に出会いました。
一つの家族の家の料理や掃除の仕事を昼間しながら夜間の高校へ行かせてもらっていました。

その頃から今日まで、ネパールでも日本でも、人に助けられ、信用してもらい応援してもらったお蔭で商売もこの日本・ネパール文化交流倶楽部もやってこられたと思っています。
自分のこういった経験から、中学さえ出れば、自分で道を選ぶ勇気と判断力が身に付くと思います。
その為に学費支援では最低中学までの支援をお願いしています。

どこの国でも言えることですが、生きている時代と環境が変わっているのに、親の考え方や“ものさし”は子供の夢や将来に大変な影響を与えます。
日本を見ていると、子供の夢を最初につぶすのは親ではないでしょうか。
ネパールの農村の教育を受けなかった親たちは、毎年受け取る子供の支援金で残る、300円程度のお金で自給自足の生活に少しの余裕ができます。
そんな環境でも子供は、中学校まで教育を続けることで知恵を得て、親が考えられるより大きな夢を見て挑戦する心が育つのではないかと期待しています。

では、なぜ私がGive and Give(ギブ・アンド・ギブ)を信念として持つ様になったか。

今まで旅行業、英会話、貿易、飲食など様々な仕事に携わり大勢の人と出会い、瞬時に考える力、人の心を読む力、信頼関係を築き、応援してもらえる仲間を作る力などを培いました。この力をどうやって使うか、と考えた時Give and Giveしかないと思ったんです。
ネパールの田舎から来た私から見ると、ビジネスでは常識のギブ・アンド・テイクは、元々日本人にはない精神ではないと思います。
建前や見栄で仕方なくやっているが、してあげた後に見返りを期待するので常に心配し、忙しく、人生をつまらなくしている原因の一つではないでしょうか。
常に明るい顔をしている日本人は本当に少ないです。
仕返しもお返しも同じの様に感じます。

一人で学費支援していた時ネパールツアーに参加した会員さんに「みんなの力を借りてやればもっと助けられるよ」と言われたのが学費支援事業のきっかけで、見返りを求めずに与えるだけでどれほど人生が楽しくなるかと、会う人会う人に説き続けています。
今日、日本人が大好きなネパール人として、色んな縁で私の様にちょっと変わった人間に出会い、こうして集まっていただけたこと、本当に感謝すると同時にこれからも応援よろしくお願いいたします。



【副理事長】鈴木涼子

私共はNPO法人となっても変わらず「交流」「支援」「理解」の3つを活動の柱にしております。
それには今後も日本の会員数を増やし、皆様が積極的に参加したくなる企画や事業づくりが欠かせません。

私が交流倶楽部に入会したのは2007年の発足当時で仙台のネパール人留学生は今に比べて大変少なく、母国語でなんでも相談に乗ってくれて頼れるお兄さんとしてサンジブ代表が経営するカトマンドゥに集った学生とお客様の小さな交流からスタートしました。 現在はその交流が毎年恒例のバーベキューパーティーや芋煮会に加え、より会員様個人レベルにまで広がっており、嬉しく思っております。

私も学生時代4年間ほど留学を経験し、遠く母国を離れてもさみしく感じなくて済んだのは、何より現地の人たちとの交流でした。
病気の時通院の手配をしてくださったり、長期休暇の際に自宅に招いてくださったりしたことは本当になにごとにも代え難い支えになりました。
卒業後、就職の為に帰国しましたがそういった経験から、日本に留学している学生を支援したいと思うようになりました。
また、もともと子供が好きだったことと生まれてから何不自由なく育った為、途上国の子供達にも興味を持っていまして、学生時代よりカナダと南米の他に、アフリカ、ネパール等にも滞在しました。

そこで現地の人たちのみでなく、日本のODAや国連等の大規模な援助や草の根支援・自立支援の現場で働く多くの人たちと出会い、そんな援助と共に生きている人々を見ているうちに、生まれに関わらず本当の幸せとは何かを考えるようになったのです。
ただ恵まれない環境だからと言って物質的に支援するのではなく、支援する側もそれなりの覚悟と受ける側の自立する自由までも奪わない様、支援の対象と期間などを見極めることが重要だと強く感じるまでに至ったわけです。

今まで多くの人に与えられ機会に恵まれた分、恵まれない人の為になることを仕事にしようという夢を持ち、前職ではNPO法人を傘下にもつ企業に入社しました。
しかし10か月ほどいた職場ではやりたいことと程遠く勉強をする時間の余裕もなかった為、難しいと感じ、仙台に戻りました。
それでも自分の夢があきらめきれず模索する中、客として行ったのがきっかけでサンジブ代表とカトマンドゥで出会いました。

「おぼれている人を助けるには、自分が先に泳げるようにならないといけない」と代表から教えられ、当時の私にはこの言葉ほど心に響くものはなく、それまでの考えが甘かったことを気づかせてくれる一言でした。
正直なところ、今でも泳ぎの練習の真っ最中です。

それまで代表が一人で温めてきた「顔の見える支援」を交流倶楽部でどう実現するかということを考え続け出来上がったのが、今では約100名のネパールの子供が支援を受けられることになった、フューチャーフラワー基金です。
「交流を目的とした支援」。人と人との交流から、相手の喜ぶこと、必要なことを知ったうえで、出来る範囲で支援する。
それが日本・ネパール文化交流倶楽部が目指す、顔の見える支援の本当の意味だと考えています。

現在北海道から沖縄まで78名の支援者と99名のネパールの子供たちが学費支援という形でつながっています。
年に2回企画するネパール交流ツアーも徐々に自分の支援している子供に会いたいという参加者が増え、他の海外旅行では決して味わえない出会いと感動のツアーではないかと感じています。

皆様のご支援とご協力のおかげで、無謀でとことん人生を楽しみたい代表と共に、新しい夢をかなえさせていただけること、感謝いたします。
子供たちの将来を少しでも明るくする責任も皆さんと楽しみながら今後も頑張ってきたいと思っております。